思想と思索のめもろぐ。 ・・・の、ろぐ。

はてなダイアリーで展開していた「思想と思索のめもろぐ。」のログ置き場です。新規更新は未定。

つらつらと

 愛とは、ベクトルである。


 ・・・いや、いきなり何を言うか、と思われたらすまん(^^;;
でも、これって意外に忘れやすい大事なことだと思うわけですよ。
対象が人でも物でも、込められた想いってのはその大きさだけじゃなく、
方向性も合わせて測られるべきだと思うのです。
これを忘れて、大きさだけで愛とか熱意とかを測ろうとすると、
必然的に自分の感じ取れない愛ってのは目に入らなくなり、
自分が評価可能な部分しか見えなくなってしまう。
そうなるとどうなるか。
「自分の好きな作品=愛が詰まっている」「嫌いな作品=愛が足りない」
なんて偏った考え方が蔓延してしまうわけですよ。
個人的な好き嫌いで作品に込められた想いまで一緒に評価してしまうのは、
それはどう考えても受け手の傲慢だろう、と自分は思うわけです。
いや、ウェブ見てるとマジにいたりするんですよ、
「○○やった(読んだ・聞いた)。つまらん。作者手抜くな
なんて本気で言ってるっぽい呆れた人がね。
それが誰が見ても手抜き・欠陥であるんならともかく、
自分に合わなかったからってだけで手抜きだ、と・・・お前何様だ、と。
こういう人の「愛・熱意」の評価ってのはあくまで
自分が面白いと思ったか」でしかないんですよね・・・。
ただ単に、方向性が望むものと違っていた、それだけなのにね。
こういうアレな人が増えてきちゃってることと、
ゲームとかもろもろの業界が衰退しかかってるのはあながち無関係じゃないんでは、
などと自分は考えていたりするわけですが。
幅広くいろんな感情・想いを受け取れるようになりたいですね、ということで。